労働衛生の歴史

愛健協創設前後の産業保健を取り巻く労働衛生事情

 

戦前(珪肺健診)

昭和11年石川知福氏は、愛知県瀬戸市において我が国初めての珪肺健診を実施した。
実施場所は、瀬戸氏須原町加藤又一医院で、X線装置はアメリカのビクタースタークであった。

昭和24年~29年

珪肺対策の基礎資料とするための巡回健診を瀬戸氏窯業を中心として104事業所1,219人の労働者を受診した。じん肺を確認されたのは898名で、有所見者は73.3%であった。(労働基準行政より)

昭和30年

 6月 珪肺および外傷性せき髄障害に関する特別保護法公布

昭和33年

愛知県に労働衛生課が設置された。初代労働衛生課長 三浦邦宏氏

昭和35年

 3月 じん肺法交付

 6月 中部労災病院分院(現在、旭労災病院)が建設される

10月 ILO(世界労働機構)労働衛生部長ドクターマレー氏来日。日本における中小零細企業の健康管理現況視察
    と研究

昭和36年

愛知県健康管理機関協議会発足

前年、じん肺法の施行に伴い瀬戸健康管理センターが愛知労働基準局衛生課と合同で、じん肺健診3,500名実施し、管理区分4の決定者は57名に及んだ。

昭和39年

11月 全国労働衛生大会が名古屋市で開催され、特設第1分科会として、「中小企業における健康管理」をテーマと
    して、瀬戸健康管理センターにおいて開催された。

昭和40年

 3月 安全衛生制定

昭和47年

 6月 労働安全衛生法交付

昭和53年

​じん肺法改正

参考記録(「労働衛生行政50年の歩み」日本労務研究会より抜粋)

 

  1.  昭和22年11月1日に労働基準法に基づき労働安全衛生規則が施行され、労働者の安全と健康の二本柱でスタートした。

  2.  昭和24年から29年までの間において、けい肺対策の基本資料とするための巡回健診を窯業を中心に実施し、1219人の労働者が受診した。そのうちけい肺該当者として確認されたのは898人、罹患率は73.7%であった。

  3.  昭和30年代に入り、昭和20年代より実施していた「けい肺対策」について、「けい肺及び外傷性せき髄障害に関する特別保護法」が昭和30年9月に施行された。そこで、この周知と「けい肺健康診断」に着手し、昭和31年までに管内の対象労働者約1万3千人の診断を実施した。その結果、けい肺罹患状況は、第一症度が3279名、第二症度が314名、第三症度が162名、第四症度が178名、合計で3,933名の有所見者が確認された。
     昭和30年5月に、従来から疾病の発生が比較的高い「電離放射線業務」「鉛業務」「水銀業務」等の特殊健康診断の状況は、鉛・電離放射線・ベンゼン等の健康診断対象労働者数が18,821名で、受診労働者数は1,970名で、そのうち有所見と診断された労働者数は379名であった。
     それまで安全衛生課として労働衛生業務も含めて行ってきたが、社会状況の変化に伴い労働衛生分野の諸規則が制定・施行される中で、昭和33年に安全課と労働衛生課に分離し、それぞれの分野の業務を分担して受け持つこととなった。

  4.  昭和35年には「けい肺及びせき髄障害に関する特別保護法」から「じん肺法」が独立し公布されたことにより、新たなじん肺健康管理がスタートすることとなった。
     また、労働衛生関係団体については、愛知県協議会が、昭和36年6月に発足し県下の健康診断実施機関に対し、健康診断の精度の向上や効果的な健康管理を進めるために活動を開始した。

  5.  昭和40年代に入り労働衛生行政は、労働基準法から労働安全衛生法が独立し、この法の下に労働安全衛生規則や、シアン・カドミウム等43物質を特定化学物質として規制した特定化学物質等障害予防規則の制定や、有機溶剤中毒予防規則の制定等新たな労働衛生行政を推進することとなる。
     また、健康管理の一環として、一定業務従事者の離職者に対し、離職後の健康管理の徹底を図るため、健康管理手帳制度が創設された。現在までの交付件数は、じん肺によるものが1,378件、コールタールが449件公布されている。業務上疾病については、昭和44年の4,291件の発生をピークに、以後確実に減少し平成8年では460件の発生にとどまった。
     しかし、昭和44年の4,291件中、1,204件が「重激業務による運動器」の疾病であり、全国的にも対策が必要とされ、昭和45年7月10日に「重量物取扱業務における腰痛予防対策指針」が出された。
     労働衛生に関し、昭和40年代の特筆すべき事項としては、ポリ塩化ビニル合成に従事する労働者の職業病として、昭和44年9月の国際労働衛生学会において、指骨末端溶解症等の研究発表が行われた。これを受けて、当局管内においてもポリ塩化ビニル合成に従事した労働者56名の調査を実施すると共に関連する事業場の監督指導を実施した。その後、昭和50年代において、肝臓ガンの問題へと発展した。

  6.  昭和50年に入ると、昭和40年代後半から問題化していた塩化ビニルによる肝臓ガンが表面化し、局署が一体となって対応した。また、全国的に六価クロムによる職業病「鼻中隔穿孔」等が問題化し、愛知局においてもクロム関係の一斉監督を実施した。
     一般的健康診断の結果報告の変更があり、それまで呼吸器系の結核を主として報告対象としていたものが、新生物による疾病(ガン)、高血圧、心疾患、気管支炎が追加された。昭和51年度の一般健康診断実施状況は、5,265事業所の825,474人の労働者が受診し、そのうち疾病総数は36,095人であった。
     昭和53年3月にじん肺法が改正された。じん肺の定義の変更とともに、管理区分の変更も行われた。それまで、管理区分1がじん肺の所見がある者と所見がない者の両者に分かれていたが、じん肺の所見がない者が管理区分1、所見がある者が管理区分2となる等の変更が行われた。
     昭和54年に粉じん障害防止予防規則が制定され、昭和56年に「粉じん障害防止総合対策推進要綱」が策定され、以後、「振動障害防止推進計画」と共に5カ年計画として現在に至っている。
     また、同年に中高年齢労働者の健康保持増進対策として、SHP(シルバー・ヘルス・プラン)がスタートし、後に、THP(トータル・ヘルス・プロモーション・プラン)へと発展し、現在に至っている。
     また、労働衛生関係団体については(社)日本作業環境協会東海支部が設立され、作業環境測定士や測定機関の育成や、測定精度の向上を推進した。

  7. 昭和60年以降の労働衛生行政は、職業病疾病対策から健康保持増進対策へ大きく変化した年代であるが、しかし、企業のOA化が進みVDT作業による障害が発生し、「VDT作業のための労働衛生上の指針」を策定しその対策に着手した年代でもある。
     当初、中高年齢労働者を対処にした「SHP」(シルバー・ヘルス・プラン)からスタートした健康保持増進対策も、「THP」(トタル・ヘルス・プロモーション)となり、心身両面にわたる健康保持増進対策へと進み、快適職場の推進や地域産業保健センターの開設等労働衛生行政が大きく発展した年代である。

  • 特殊事業、社会的に問題となった出来事
     昭和36年、前年のじん肺法施行を受け、瀬戸陶磁器健康保険組合健康管理センター(現瀬戸健康管理センター)が粉じん作業従事者3,500名に対し、じん肺健診を実施した。
    ​ 昭和36年度のじん肺管理区分4決定者は57名に及んだ。昭和39年11月全国労働衛生大会特設第一分科会が瀬戸市内で開催された。